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「学び」と「学ぶ」

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アーユルヴェーダ基礎講座の講義を担当させてもらいました。
昨年12月と、この4月の二回、それぞれ4時間づつの授業です。

ここは13人の生徒さんが50時間超、アーユルヴェーダの基礎に関するカリキュラムを、
月一回、一年かけて学んでいくクラスです。

ご自分や家族の健康のためにアーユルヴェーダを活かしたいと考えている方。
ヨーガの先生がその学びを深める一環として、アーユルヴェーダを取り入れたいと考えられている方。
学ぶ動機は様々です。
週末の1日をかけて、とても熱心に学ばれています。

古典書に基づくアーユルヴェーダの世界はとても奥深いもの。
学ぶ側が「理解したい!」と願っても、すぐに理解が得られるとは限りません。
「わからない」にぶつかることが多々あるでしょう。
私もあります。

受け取る側の状態も、そこには大きく影響するかもしれない。

振り返ると、アーユルヴェーダを学び始めた頃の私は「わからない」を受け止めることがとても苦手でした。

古典書は、こっちで「マル」と言うものを、どうしてあっちで「バツ」と言うのか?
当時の私のレベルから見て、一見曖昧に見えることがたくさんあったのです。

もやもやもやもや・・・・
現代教育のオトシゴ、このような「自分にはわからない」が当時とても苦手だったのです。

今もし、同じようなケースに出会ったら「どうしてそう考えるのか?」
いろんな角度から見る、当たってみる、という方法をとると思うのですが、
当時はそれができませんでした。
唯一の揺るぎない正解を、それもなるべく早く、手に入れたがっていた。

アーユルヴェーダ、早く正解(最強のカード)をちょうだいよ。

今思うと、そんな心の態度であったように思います。
(ひどいね)

学びを進めれば、少しづつですが見える世界も広がります。
こっちの「マル」とあっちの「バツ」が、実は矛盾していないということも。
そう、言うなればカードには出てくる(べき)順番があるのだと言うことも。

無駄に焦る必要はなかったのです。
急がず、時間をかけて学ぶ学びがあればこそ、得られる視点があるのだと知りました。

さて、今、基礎を学ぶ生徒さんから、もし次のような問いが寄せられたとしたら、私はそれにどう答えるか?

「コンビニのおにぎりは、オージャスのない食べ物なのですか?」

聞きたくなります。確かに。

あるいは、
「冷凍食品やインスタント食品はタマシックなものですか?」

返答する前に、ただ一つ思うこと。
もしどこかで手にした「正解」らしきものがあるとする。
その後、それを他の角度から顧みることをせず、
やみくもに伝家の宝刀のように扱うとしたら。。。。
それは、どうにもアーユルヴェーダからは少し遠いような気がするのです。

アーユルヴェーダはどうしてそう考えるのだろう?
どのような視点があって、そうとらえているのだろう?

学ぶ上では、自らに問いを立てることがやはり大切なのではないだろうか。

わからないことについて、自らに問う視点があってこそ、
私たちは古典の教えを、現代に生きるアーユルヴェーダにしていけるんじゃないだろうか。

そしてそこに「焦り」を持ち込む必要はないと思うのです。

2つの講義体験を通じて、内側に気づくこと、学ぶ場面が多々ありました。
人に伝えるって「大きい」です。

秋には試験を受ける生徒さんです。
13人の生徒さんがこれからアーユルヴェーダと、焦らずゆっくりとつながりあってくれることを
願ってやみません。

そう思いながら、授業後、教室から皆さんを見送りました。

**

「コンビニのおにぎりは、オージャスのない食べ物なのですか?」
「冷凍食品やインスタント食品はタマシックなものですか?」

もし、そんな問いが投げかけられたら、あなたはどう答えますか?

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アーユルヴェーダ案内人くれはる

by kureharu | 2019-04-15 17:21 | アーユルヴェーダスクール

もっとすこやかに、さらにごきげんに!


by くれはる
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