会いたい人なら会いに行け。【kureharu Lab.関西へ】
2017年 02月 18日
先日のイベントに、大学時代の友人2人が関西から駆けつけてくれました。
一人とは約2年ぶりの再会ですが、もう一人はなんと20年以上ぶりの再会でした。
私たちは、関西にある芸術系大学のクラスメート。
ともに青春の一時期を過ごした仲間です。
その後、私は出身地である関西を離れ、一人東京に出、
彼女たちは故郷である関西で、今も働きながら暮らしています。
久しぶりの再会を喜び合いながら、私たちには忘れられない存在がありました。
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同じくクラスメートの一人であり、親しい仲間であった友人Mを私たちは
阪神淡路大震災で失いました。
今では全く考えられないことですが、あの震災の時は、被害にあった死亡者情報が
NHKで繰り返し流されました。
真夜中。食い入るようにTVの画面を見つめる私の視界に、カタカナで書かれた
「M」のフルネームが画面下から流れ込んできた時の衝撃。
今も忘れられません。
名前はどんどん上へと流れていって、数秒で画面から消えさりました。
そう思いたかった。
でも夢ではありませんでした。
3月。Mにお線香をあげるために、私たちは被災地にある彼女のご実家を訪ねました。
二ヶ月が経っても交通インフラは止まったままのエリア。瓦礫の中をただ西に向かって歩きました。
学生時代、一緒に笑って過ごした街の変貌ぶり。
春というには、目に映る景色はあまりにも寒々しく、
私たちの心に再会の華やぎはありませんでした。
仏壇の前。Mのおばあちゃんが、静かに最後の状況を語ってくれました。
当時Mは実家を離れ、阪神間の街で一人暮らしをしていました。
住んでいたアパートが倒壊し、眠ったまま一瞬で亡くなったのだそうです。
死亡診断書には「瞬死」と書かれていたのだと。
「瞬死」、一瞬の死。
震災の少し前まで、別の高い家賃の部屋に暮らしていたというM。
おばあちゃんは、もう少し手頃な家賃の住まいに移り、身の丈にあった暮らしをしなさいと
勧めたのだそうです。
そうして引っ越した先で起きた震災。孫娘の死。
自分の行動をただただ悔いる、おばあちゃんの言葉に私たちは言葉が出せませんでした。
当時30代前半。同じ年の同級生。
会いたくなればいつでも会えると思っていた人に「一瞬で会えなくなる」ことがこの世にはある、
という事実を私は生まれて初めて知りました。
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20数年が経った今。
元気で生きている私たち3人は、それぞれ確実に年を取りました。
そして今、ありがたいことに、皆がこうして東京まで私を訪ねて来てくれる。
何かがほんのちょっと違っていたら、Mもここにいたかもしれません。
ちょっと口の悪い、でも正直でまっすぐだったMのことだから「あんたたち老けたな!」
でもMはもういない。
できたらいつかは、、、。
なんとなくそう思うだけで、どこか棚上げしてきたことを
いつかは、、、。
そう思ってきたことが幾つか私にはあります。
その一つが、「kureharu Lab.」のワークショップを(私の出身地である)
関西でも開催したいという思い。
いつかは、、と思っていました。
だけどもう「いつかは、、、」ではダメなんじゃないかな。
旧友との再会は、Mの思い出は、私に気づかせてくれたような気がします。
いつかはないかもしれないよ、ということに。
あれこれ条件が整うのを待ったり、
あるいはちょっといいカッコして、どこかから来てくださいとお声がかかるのを待ったり。
そういうのはやめることにしました。
今年、「kureharu Lab.」は自ら関西へ行きます。
未経験の方でも、気軽にアーユルヴェーダ体験が出来る実践型のワークショップ「kureharu Lab.」は
東京を飛び出し、関西でも開催をします。
くれはるプロデュースで企画を実現します。
どれくらいの方が来てくださるのか、、、それは全くの未知数。
まあそれについては、2013年、東京で全くゼロから活動を始めた時も同じことでしたから。
「ただもう一度、初めからやればいいこと」です。
もしこのブログを読んでくれている方で、アーユルヴェーダにご興味のある関西在住の方は
どれくらいおられるのだろう。
日本で忙しく生きる現代の私たちに、今こそもっとアーユルヴェーダのアイディアを!
勝手にお届けに参りますね。
関西方面の皆さん、よろしければ、ぜひリアルの場でお目にかかりましょう。
詳細が決まりましたら、またこのブログでお知らせいたします。
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