よかとですか?@佐世保 〜感覚器官と対象の正しい結合〜
2014年 10月 21日
長崎県佐世保を旅してました。
ところで久々に聞く、九州のことばは色っぽいなーと思う。
「よかとですか?」
タクシーの運転手さんや、お店の店員さん。
そう、町なかで、普通の人たちが普通に話す言葉に、不意にきゅんとなる。
温かい両手で頬に触れられたような、そんな気持ちになる。
耳からふうっと、こちらの肩の力を抜き取ってくれます。
いいなぁ。
「こちらの言葉は素敵ですね」と言いたいけど
実際に言っちゃうと、たいがいのひとは
自分が話す言葉を「いなかのことば」と恥ずかしがって、もうおしゃべりしてくれなくなったりする(経験済み)
だからぐっとがまん。
何も感じてない振りして、ふむふむと聞き続ける。
音も旅のたのしみ。
五感が喜んでる。
もっと聞かせて。
■感覚器官と対象の結合について
- 感覚器官(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)
- 対象となるもの(見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの)。
アーユルヴェーダではこの両者の接触のことを「結合」と言い、こんな風に分けています。
*「過度な結合」:使い過ぎ。必要以上に感覚器官を酷使すること。明るすぎるもの。大きすぎる音。刺激のある匂い。パソコンやゲームなどのやり過ぎなど。
*「結合の欠如」:足りなさすぎ。感覚器官を全く使わないこと。見ない、聞かない、嗅がない、味わわないなど。
*「誤った結合」:異常な使い方。ホラー映画、事故現場、恐怖を与えるもの、不潔なものなどに「見る・聞く・触れる、味わう」など。
で、これらは3つは「感覚器官の不適切な使い方」であると言っています。
一方で、アーユルヴェーダが大切にするよう勧めているのは、
*「健全な(正しい)結合」:より良い対象物と感覚器官を「適切に」結合させること。
です。
「健全な結合」は、「感覚の正しく正常な状態を作り、それぞれの感覚における知性を養う」と言うのです。
なんかちょっと難しい…?
不適切な「結合」により何が起こる?
思考器官と感覚機能が異常をきたし、感覚の障害を起こす。
「過度」「欠如」「誤った」結合が「異常・病気」のもとになると考えます。
その反対に、健全な結合が「正常・健康」を作り出す。
これはなかなかシンプルです。
感覚器官とその対象の結合。大切なのは知性をもって正しく吟味すること。
もっと平たく言いかえると…
アーユルヴェーダでは、ココロとカラダの健康のためには、よい対象を選んで、五感を正しく、よりよく使いましょうね!
と言うわけです。
合わせて、どんなに良いものでも行き過ぎはダメよ、ということ。
どんなに素晴らしいクラッシック音楽でも、大音量での長時間聞きすぎると?
これは「聴覚の過度な結合」になります。
名作映画を寝ずに徹夜で観る。これは「視覚の過度な結合」です。
美味しい秋の味覚、美味しいし身体によいものだからと山ほど食べておなかを壊す。
これはもうお分かりいただけるかも(笑)
はい、「味覚の過度な結合」ですね。
多すぎるのも、足りないのもダメ。五感はちゃんとつかいましょう(笑)
いかがでしょう?
みなさんの経験と照らし合わせてみてくださいね。
もし、アーユルヴェーダに興味がなかったとしても、
これってわりとわかりやすく、実感しやすいこと、ではないでしょうか?
美しい景色や絵画、綺麗な音楽、素晴らしい香りの花、健康に作られた味わい深い野菜や果物…
それらに「より良く」「心地よく」「適切に」触れることで、私たちのココロとカラダは
健康になれると古典は語ります。
というわけで…
冒頭の、佐世保旅における「よかとですか?」問題。
この例で言うと、感覚器官はわたしの耳(聴覚)。
「よかとですか?」はその対象(音、ことば)。
耳もココロも喜んだ。感覚器官をたのしませてもらった。
私に取って、まさにまさに、正しく、とても健全な結合のかたちでした。。。
健康になれる気がします。
旅の醍醐味でもありました。
■まとめ:
アーユルヴェーダの「感覚器官の正しい結合」とは?
美しい景色や絵画、綺麗な音楽、素晴らしい香りの花、健康に作られた味わい深い野菜や果物…
質の高いものを対象に選び、「より良く」「心地よく」「適切に」触れること。
感覚器官の使い方を、知性をもって正しく吟味すること。それが私たちの健康につながります。
「感覚器官を楽しませること」。
今日から、ちょっと意識されてみてはいかがでしょう?