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文字のひと〜父の絵葉書

私の祖父は、小さな手帳に毎日の記録をつけていました。
いつどこに行ったか何をしたかを、ただただ細かく書きつける姿を見て、
若かった私は、そんなことして何が楽しいんだろう…などと思っていました。
思っているだけでなく、何度か本人に言ったような気もします。
おじいちゃん、それ何が楽しいの?と。

祖父はにこにこ笑いながら、とくに反論もせず、ただ淡々と死ぬまで記録を続けました。
亡くなった後、遺品の整理をする中、大量の広告の裏紙に書き残された原稿を見つけました。
大陸で過ごした戦争中の記録でした。本当に書き続けた人であったことを知りました。

50代の若さで死んだ父も文字のひとでした。職業的船乗りであった父。

18歳で家を出て、寮生活を始めた私に、
父からの絵葉書が届くようになりました。
消印に押された町の名で、いま父の船がどの港にいるかがわかる。
紺色のインク、万年筆でかっちりと書かれた男文字。
言葉はいつも短く、素っ気ないものでしたが、
それでも私のことを心配してくれていることがわかる、そんな手紙でした。

単身赴任が長く、私たちと離れ暮らしていた父。
一方、知ったひとの誰もいない都会で、一人で生き始めた私。

「友達ができずに、寮の部屋で1人ぼっちでいるのではないか」
そう書かれた葉書を受け取った時は、思わず泣きました。
その時分の私は、まさにその通りだった。父はどこかで見ているのかのようでした。

そしていつも「がんばりなさい」と堅い言葉で結ばれる父の声。

今はわずか数枚だけ、私の手元に残るこの絵葉書を
父はどこの机で書いていたのだろう・・・。

船乗り故の留守、さらに早世だった父。
娘たちと一緒にいられた時間も短かかったし、あまり口にも出さない人だった。
もし私が1人暮らしをしなかったら、父から手紙をもらうことはなかったのかもしれません。
父が娘に傾けてくれた思いを「文字」で知ることもなかった。

言葉は、人を傷つけることも、救うこともできます。
その対象は他者だけでなく、自分も含めてなのだとこのごろ思います。

傷つけることも、救うこともできる。

だからこそ、自分は言葉とどう向かいあっていくのか。
自分の言葉の先にいるのは誰なのか。

ただしいこと、いかにも流麗なことばがココロに深く届くとも限らない…。
じゃ、ほんとうに大切なことはなんなのか?

正解はわかりません。
でもひとつぼんやりと思うのは、どれだけ正面から対峙しようとしているか。
それは相手が他者であっても、自分であっても、
でしょうか・・

父の書いてくれた手紙のような言葉を
私は誰かに向けて紡ぐことはできるんだろうか・・・

今日12月21日は、亡くなった父の誕生日。

何よりも、いま言葉にできるのは、いま生きている人だけです。


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by kureharu | 2014-12-21 23:33 | 日々のこと

もっとすこやかに、さらにごきげんに!


by くれはる
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