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かりそめのポジティブ〜両肺で生きるということ

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インターネットの世界に毎日流れる
大量の「ポジティブメッセージ」。
「全ては前向きであらねば」という
それらを眺めながら、ふと心に浮かぶことば。

かりそめのポジティブ。
片肺のいのち。

かつて鷺沢萠という、同世代の作家がいた。
その容姿から、メディアでは美人作家と扱われることも多い人だったけど、
単にそれだけでは終わらない。どこか太い力を持つ作家だった。

彼女の描く世界のどこか静謐な寂しさとか
愚かさとコインのように表裏一体となった、ヒトの愛らしさとか。
なにより無名の人を切り捨てない。
温かくもベタついたところのない作者の目線に、私はとても惹かれていた。

30代のある時期、私を救い上げてくれた彼女の短編小説がある。
それはもうタイトルがなんであったか、そして正確な表現がどうであったかも
思い出せない。
その一節はこんな感じだった。(正しく再現できないのが残念だけど)

でこぼこの多い人生を送っているひとは素敵だ。
雨が降ると、その窪みに小さな水たまりができるのだ。
いつしかそこには小さな魚も棲みつくだろう。
そしてその小さな水たまりには、美しい月が映りこんだりもする。

くりかえしくりかえし、その一節を読んだ。
静かな水鏡に、月と小魚が透ける夜の景色。

何よりそうありたいと願いながらも
「つるつる」に自分を整えることができず、「でこぼこ」の多い人生を送っている。
そして、その「でこぼこ」をうまく請け負えないままの日々。
そんな自分を遠くから照らす、彼女の文章はまるで月のようだった。
そう、その時私の足元を照らしたのは月のひかりであり、太陽ではなかった。

繰り返し繰り返し本を読んだ。

そしてある日、鷺沢萠は消える。
自らで命を絶ったのだ。

忘れがたい一節を、雨染みのように私の中に残したまま。

・・

ヒトを救うものってなんだろう。

思えばずっと辛い時、うまくいかない時、私をそっと励ましてくれたのは
小説であり映画であり、お芝居であり美術の世界だった。
小さな名画座や劇場、美術館。
私はその場に行き、黙って時を過ごす。
誰と行ってもいつしか一人の世界。
生み出される世界に、無心で夢中になる。
それだけで、
さっきまではどうにもならないように思われた悩みから
帰り際には、少しだけ解き放たれている。

なにもことさらポジティブになれ!なんていうこと、
そこでは一度も言われたことはなかった。
でも帰り道、本人は「勝手に」どこか一歩を旅立っている。

優れた表現の世界には、本来そんな力があるものではないかな。
そう、そこにあるほんものの美や善は、けっして「うまくいかない人生」を責めないし、
見捨てたりもしない。

インターネット上に、日々大量に吐き出される、ポジティブメッセージの応酬。
時々ふと「かりそめのもの?」と感じるのはなぜだろう。

光だけを尊び、影を許さない世界もあるみたい。
何れにしても「〜でなければ!」「〜であるべき!」
その一辺倒なありかたは、片肺で生きるいのち。
いずれ緩やかに世界を窒息させてゆくように見える。

光と影がともにあって、初めて世界には奥行きが生まれる。
ヒトをみつめる芸術の世界は、何百年も前から、そのことにちゃんと気づいている。
そう、ヒトのココロの世界はもう少し複雑で豊かで芳しく、
また汚しがたいものだと世界は知っているのだ。

なにかが辛い時、流れ去るタイムラインを離れて
古くから「名作」と言われる一冊の本を映画を、一枚の絵を頼ってみるとよいと思う。
暮らす街を離れて、海辺にたつ。どこか古い建築を眺めてみるのも素敵だ。
いずれにしてもモニタ越しでなく、歴史あるほんものの前に自ら出向いて、
ひとときを過ごすといい。

芸術も自然も、本当に素晴らしいものであれば、
全身を預けてもきっと黙って受け止めてくれる。
何ひとつ奪うことはなく、誰ひとり傷つけることもなく。

そして本人の足での一歩へ、押し出してくれるものだ。

あふれる言葉の海。
「命が棲みつける水たまり」が、今日もどこかに生まれているといいなと思う。

ふかく呼吸して、両肺で生きたい。


by kureharu | 2015-01-19 06:31 | 日々のこと

もっとすこやかに、さらにごきげんに!


by くれはる
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